Column ー 岡田コラム

2005.04.19

わたしは、急須だ。
陶芸を始めて2年が過ぎた。
何をやるにもそうなのだが、基本を飛ばしてやってしまうものだから、
たちまち壁にぶちあたってしまう。
いつまでたっても、開発途上の完成されないナマナマしさが続くので
とうとう自分に飽きてしまったのである。
それと、いつも最初の着想と出来上がったものとの距離がありすぎる。
もういい加減やめてしまおうかと思ったとき、転機が訪れた。
何の気なしにつくった急須に見事はまってしまったのだ。
急須は皿をつくるのと訳が違う。
本体と、蓋と、取っ手と、注ぎ口との4つの部品から成り立っている。
それに加えてお茶の葉を濾す関所もつくらなければならない。
こんなめんどうは絶対やりたくないと思っていた。
驚いた。急須には未開発な魅力がいっぱいあったのだ
お茶の間で長い歴史を誇った生活の道具なのに、
それ故に実用ばかり重んじられてきて、
世の陶芸家はそのフォルムの無限の可能性に目がいかなかったのであろうか。
わたしは、急須だ。
釜から出した日にすぐ水を入れてテストしたら、なんと2箇所から水が出てきた。
本体と取っ手との間がふさがっていなくて、
取っ手のお尻からも水があふれ出てきたのである。
あわてて釉薬を塗って、水の通り道をふさぎ再度本焼きにかけた。
それがこの急須である。
手に取ってじろりじろじろ見るもよし、ゆったりとした気分でうやうやしく使うもよし。
おそらく1000年前には、こんな武骨で滑稽な、
それでいてぬるりとした緊張感のある急須が、あったに違いない。
私は高揚している。が、
妻の急須を見るさびしげな表情が、妙に気にかかるのである。

copy&photo/Kunitaka Okada design/Junichi Kitagawa